あなたが苦しいのはなぜですか?
…解放プログラム第二弾です。これは、メソッド的なものではなくて、自分を整えるための考え方になります。ご一読いただけたら幸いです。
もくじ
与えよ、さらば求められん
マタイ伝「求めよ、さらば与えられん」
新約聖書:マタイ伝には、「求めよ、さらば与えられん」という言葉があります。この言葉は、「(あなたが)求めれば、(神から)与えられる」として、また、物事を成就するには与えられるのを待つのではなく、自ら進んで求める姿勢が大切であることを説いているとされています。
この解釈では、求める対象は『外部』になっています。しかし、実際には、『内部』を指しているのです。つまり、「内部=自分」、自分自身に求めるという考え方です。
他人に依存する状態を見直す
ここで、他者に求める状態について考えてみましょう。
例えば、一週間ほど前に知り合った人から「私は不運があってお金が50万円必要だから支援してください」と頼まれたら、どのように感じるでしょうか?
「え?なんで私に頼むの?」と心がざわつくかもしれません。これは、優しさやケチかどうかの問題ではなく、また、不運な人を見捨てろという話でもありません。
信頼関係が全く築かれていない人に、いきなりお金を渡すのは簡単ではないでしょう。
ここではお金を例にしましたが、これを「愛」や「寂しさ」に置き換えて考えてみてください。
愛や寂しさは、いわば「エネルギー」と言えます。そして、このエネルギーは、それぞれの人の「ガソリンタンク」に入っているとイメージしてください。他人にエネルギーを過度に求める人は、自分の「ガソリンタンク」を満たすために、他人の「ガソリン」で補おうとしているようなものです。この行動は無意識的である場合もあれば、意図的である場合もあります。
ここでの例は、「信頼関係のない状態で過度な求めをする」ことの違和感を示したものであり、助け合いの価値や、助けを求めること自体を否定するものではありません。
自分でガソリンタンクを満たすことから始める
まず、自分で自分のガソリンタンクを満たしましょう。求めるのは、自分です。自分の不足を他人から補おうとするのではなく、自分自身を愛し、大切にしてください。
「自分には価値がある」と自分で認められたとき、世界はあなたを求めるようになるでしょう。
これが、「(自分に)与えよ、さらば(世界に)求められん」という考え方です。
与えているのに求められていない?
「私は与えているのに求められていない…」「与えているのに、求めたものが得られない…」
もしあなたがそう感じているのなら、それは「与えている先」が『外部』に向かっているからです。その根底にあるのは、「自分には足りないものがあるから欲しい」という思いです。この思いは、単に「求める」と同じ状態を引き起こしています。
「自分が与えれば、与えたものは返ってくる」という期待――この「返ってくる」という反応(見返り)を求めている間は、本当の意味での与えるではないのです。
まずは、自分自身に与える(満たす)ことを意識してみてください。それが、外部に依存しない「与える」の第一歩です。
それは、自分を大切にすること――
あなたの好きなものを好きだと感じてください…
誰かに否定されたからとか、いままで傷ついた部分を、再び、自分で責めないでください。
あなたは、全部、丸ごと価値があるのです。
あなたがその価値に気づいたとき、「求めれば、与えられる」が実現するでしょう。
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