2015年5月29日:哲学かもしれない旧い日記

※旧い日記です。Seesaaブログから引っ越しました。

旧ブログ-タイトル

最近、飲食店で、

「ご馳走様」を言わない人が増えているらしい・・・

理由は、

「カネを払っているから」・・・

あのね、

おカネって、なんの価値もないのよ?

どうも、誤解しているようなのだけれど、

客 > 店

じゃなくて、

客 < 店

の、順位じゃないの?

すべての店が、「あなたには何も売りません」って言ったら、

自給自足でもしていない限り、死ぬよね?

カネを何億も持っていようとも、

パンひとつ売ってもらえない状況だったら?

提供された、肉・野菜・米 もろもろ、

作ってくれている人たちがいて、

それを運んでくれている人たちがいて、

それを調理してくれている人たちがいる・・・

「カネ」の意味と、

「そういうふうに巡ってきた料理」の価値を、考えてみて?

自分が手に入れたモノには、

たくさんの経路、それに付随する物語があるんだよ?

蛇口をひねれば出てくる「水」だって、

水道局の人たちが管理してくれているからだし、

ゴミを収集してくれる役所がストライキしたら、どうする?

そういう人々の働きや頂く命に、

常に、常に、感謝するべきじゃないの?

まったく、

自分ひとりで生きていると思い上がるなよ?

【馳走(ちそう)】: 〔その用意に奔走する意から〕食事などでもてなしをすること、また、そのための立派な料理


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