2014年4月10日:哲学かもしれない旧い日記
※旧い日記です。Seesaaブログから引っ越しました。
世界の仕組みが、なんとなく分かって、
「つらい」ってのも、
自分が作りだした苦しみなんだって、思うようになりました
つまり、「ここ(つらい)が、心地いい」、から抜け出せない
まあ、本当に休養が必要なヒトがいるのも分かります
でも、「外界とシャットアウトしたい」、という思いは、
自分が「善」である、と思い込んでいることなんだよね
裏返せば、「他」に「悪」を作ってしまっている
世界には、「善」も「悪」も、なんにもない
では、なぜ、自分は「嫌」な思いをするのだろう?
それは、自分が「閉じている」からだと思う
「閉じている」 = 「思い込み」
「この人は、こうあるべきだ」
「こういうことをされたら、謝ってしかるべきだ」
そういう、思い込みがないだろうか?
結局、自分は「善」で、相手を認めていない、
相手を定義してしまっている
そんなの、おこがましくないだろうか?
そんなことを考えていたら、どーんと落ち込んだw
まあ、そんなに自分を責めなくてもいいって、
分かっているんだけれども・・・
◆ ゲシュタルトの祈り
私は私のために生き、
あなたはあなたのために生きる
私はあなたの期待に応えるために、
この世に在るのではない
そして、あなたも私の期待に応えるために、
この世に在るのでなない
私は私。あなたはあなた
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、
それは素敵なことだ
たとえ出会えなくても、
それもまた同じように素晴らしいことだ
by フレデリック・S・パールズ
うん、そういうことなんだよね・・・
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