2014年4月10日:哲学かもしれない旧い日記

※旧い日記です。Seesaaブログから引っ越しました。

旧ブログ-タイトル

世界の仕組みが、なんとなく分かって、

「つらい」ってのも、

自分が作りだした苦しみなんだって、思うようになりました

つまり、「ここ(つらい)が、心地いい」、から抜け出せない

まあ、本当に休養が必要なヒトがいるのも分かります

でも、「外界とシャットアウトしたい」、という思いは、

自分が「善」である、と思い込んでいることなんだよね

裏返せば、「他」に「悪」を作ってしまっている

世界には、「善」も「悪」も、なんにもない

では、なぜ、自分は「嫌」な思いをするのだろう?

それは、自分が「閉じている」からだと思う

「閉じている」 = 「思い込み」

「この人は、こうあるべきだ」

「こういうことをされたら、謝ってしかるべきだ」

そういう、思い込みがないだろうか?

結局、自分は「善」で、相手を認めていない、

相手を定義してしまっている

そんなの、おこがましくないだろうか?

そんなことを考えていたら、どーんと落ち込んだw

まあ、そんなに自分を責めなくてもいいって、

分かっているんだけれども・・・

ゲシュタルトの祈り

私は私のために生き、

あなたはあなたのために生きる

私はあなたの期待に応えるために、

この世に在るのではない

そして、あなたも私の期待に応えるために、

この世に在るのでなない

私は私。あなたはあなた

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、

それは素敵なことだ

たとえ出会えなくても、

それもまた同じように素晴らしいことだ

by フレデリック・S・パールズ

うん、そういうことなんだよね・・・


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